熊本市指定有形文化財 徳富旧邸災害復旧

徳富旧邸は日本の思想家を偲ぶ場としても、現存する明治の住宅としても重要な文化財
熊本地震で被災し、その復旧を風設計室で担当しました

2022年
熊本市中央区

徳富旧邸は徳富蘇峰(明治、日本のジャーナリスト、思想家)、蘆花(同、小説家)が熊本で暮らし、大江義塾を開設した家
熊本地震による被害調査、復旧設計、工事監理、報告書作成
文化財の歴史的価値を守りながら構造耐力を担保できる復旧工事を行った

建築概要
熊本市指定有形文化財徳富旧邸
床面積:197.85㎡
木造2階建て

徳富家と旧邸について

明治3年に父一敬が熊本藩の民生局大属に任命され、徳富家は水俣から大江に移り住みました。
蘇峰はこの家から熊本洋学校で学び、その後京都の同志社英学校に転校し、明治14年に帰熊。 明治15年から明治19年、父一敬と二人で大江義塾を開き、熊本の青年達に英学、歴史、政治学、経済学の講義を行いました。
明治19年に一家で東京に移り住んだ後は、昭和戦後期にかけて、蘇峰はジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家として、蘆花は小説家として活躍します。

徳富旧邸はその後も係累の家族が住み続けました。
日本の思想家を偲ぶ場としても、現存する明治の住宅としても重要な文化財です。

地震災害復旧工事の概要

徳富旧邸は2016年4月の熊本地震で柱の傾斜や土壁の損傷など、余震での崩落も危惧される被害を受けました。 地震後から復旧工事が始まるまで、室内は補強用の筋交い、外壁は傾きを押えるサポートで建物の崩壊を防ぎました。

2017年11月から災害調査と復旧設計にかかり、2020年4月から2ヵ年かけて工事を行い、2022年3月に復旧を完了しました。

災害復旧工事

徳富旧邸は貴重な文化財ですので、出来る限り建設当時の状態を残しながら伝統技術に精通した熟練の大工、左官技術を持つ職人達で丁寧に時間を掛けて復旧しました。

復旧のポイント

・熊本地震で建物中央に断層が発生、隣地境界に建物の軒先が越境していたことから、建物位置の移動と地盤補強を行う必要がありました。
・当初計画では建物を軸組状態まで解いた後に揚屋・曳屋して、コンクリート基礎を構築する予定でしたが、いざ着工して仕上げを外していくと、明治期から何度も増改築が行われ、柱根元の腐朽、劣化と共に、小屋組の部材の劣化も確認された為、完全な解体修理で復旧する方針に変更しました。

解体してわかったこと

・明治3年に移って来た時の建物部分の西側に2階建て部分と明治天皇行在所が移築されています。それぞれは構造的には繋がりが無く、簡易な工法で接続されていました。

・建物床下は昭和29年の熊本大水害時に流入したと思われる堆積土で不陸になっていました。応急処置的に復旧されたため、床下に溜まった土は撤去されず、転用材で補修された大引、根太(敷居や端材)が見られました。

徳富旧邸は、明治の思想家をはぐくんだ時から現代までの日本の歴史の生き証人です。
復旧工事が完了し、見学者には明治当時の雰囲気を感じてもらえると思っています。

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